抱き参らせよ


『悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、
憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、
この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。』

『物の文明、あしざまに申す宗教は亡びる。文明も神の働きから生れたものぢゃ。
悪も神の御働きと申すもの。
悪にくむこと悪ぢゃ。
善にくむより尚悪い。何故に判らんのか。
偶然の真理、早う悟れよ。』

『善と悪との動き、心得なされよ。
悪は悪ならず、悪にくむが悪。』

『悪にくむは外道の善』


『神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。
何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。
悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。
この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。』

『邪はらふとは邪無くすることではないぞ、
邪を正しく導くことざぞ、
追払ふでないぞ、まつろへよ。
引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。』

一所懸命

一所懸命(いっしょけんめい)は、命がけで物事をすることや全力をあげて何かをするさま、その所領を命懸けで守ることをいいます。これは、一つの場所を意味する「一所(いっしょ)」と、力を尽くして頑張るさまを意味する「懸命(けんめい)」からなる用語で、元々は、中世において、武士が生活の頼みとして、命をかけて所領を守ろうとしたことに由来します。

一生懸命と一所懸命の違い
◎一生懸命と一所懸命は、今日では、どちらも同じ意味であるが、日常的には、一生懸命の方がよく使われている(元の語源は、一所懸命)。
◎一所懸命には、一生懸命とは異なり、今日でも、その所領を命懸けで守るという昔ながらの意味があり、例えば、歌舞伎や能などの伝統芸能でよく使われるほか、その場所で頑張るという決意から使われることもある。
悠久の時を経ての再会
やっとこうやって
逢えて…
こうやって
ただ一緒にいるだけで
こうやって
他愛のない話をして
でもこれが
ゴールではない

新たな
スタート

魂の約束

✷*.。 hi∞mi ☽・:*

真理を、指針とし愛と調和の世界へ

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