成長
あるひとつの出来事を数人の人と体験する
一見、おなじ出来事体験だけど
その体験から見えるもの、
感じるものは
皆それぞれ
それどころか
おなじ出来事体験しているのに
全く真逆の見解だったりもする
ここで、
こっちが正しい
そっちは正しくない
なんてことが発生し、
今、この世はどこもかしこも争いだらけ
現実世界は二つで一つ
現実・物質・生命は二つで一つで成り立っている
どちらも大事
違いを理解しようとせず、
・自分以外は間違っている
・他の人達がそう言っているなら
私は間違っている
・この人とその人はいいけどあの人はなんか違う
全部自分都合の善悪基準
出来事体験を共有した時に
感じたもの、学び、気づきの相違という違和感が出てきたら、
違和感を善悪だけで終わらすのではなく
自身の中のどの思いの琴線に触れたのか、自身に問うてゆくとその出来事体験からの感じたもの、学び、気づきが
多面的、立体感が出て拡がり無かった感覚、疑問に思っていた感覚、または忘れていた感覚etcが
理解に繋がる。
共有することによって、
学び、気づきは新たなエッセンスを頂けて、より深みを増し、心が大きく拡がって行くのだと思います
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