封印より解き放たれし
『女は火である』
こういう言い方であれば、
女は火であるか。
即ち、水の善を抱えて。
命ということの意味に、激情を重ねても
善はただ水族のようにただ黙してる。
なにかを手中にするというこの世の戯れにも、つかめない善なるもの。
手のひらにそっと、水界をすくう。
指の間からしたたりおちる、時の滴よ。
ここには、見果てぬ夢のかけら、がある。
むかし君がオウム貝だった頃、悲しみという重力を貝殻に刻んだ。
かつて、君がイルカだった頃、水のぬくもりをすべらかな肌に感じた。
いつか、君が人魚だった頃、月の静かな歌声に寄り添うように眠った。
そして、君が海に滴る光の粒だった頃、波のしぶきで小さな虹をつくった。
たくさんの時を生き、たくさんの時を死んで記憶の大海を何度もさすらいながら君は、すべてのいのちにつながり、すべての世界へと通じる。
すべらかなる海のぬくもり
その懐に 如意の宝珠があると聞く
(いのちの欲するを祈りという)
(祈りとなれば そのままに 願いは叶い)
(すべての利益は成就する)
えいえん
きおく
ひかり
しずく
にじ
ゆめ
みな海の……懐に
ああ 懐かしい ぬくもりよ
生まれて還る いのちのあかりよ
宝珠とは とらわれぬ己の姿
欲する所に 願いは叶い
留まっては歓喜のうちに
逝くときは安寧のうちに
「桃華の姫 イワナガヒメ」をはじめ、日本神話に登場する女神や「ククリ姫」と「瀬織津姫」。
歴史の中にひっそりと姿を期していたヒメたちが、いまやときと蘇りました。
輝かしい日本の歴史の中にも、実は埋もれてしまった裏の部分というものが必ずあります。縄文から弥生へ、そして国家の成立へという過程において、「国」を統一しようという強い意思があり、それに従わない者、同化しないものは歴史から追われる宿命となったのです。それが、自然と人と=万物がともに息づく世界にあった縄文の神々であり、ヒメたちはその象徴的な存在です。
そうして時代の発展と引き換えに鈍化した私たちの感性は神々の声を聞くこともヒメの姿を見ることもできなくなりました。
一方では・・・たとえば瀬織津姫は、正式な歴史の中には何一つ出てきません。しかし、疫病が大流行したり天変地異が起きた時、浄化のためにあげる祝詞、大祓詞(おおはらへのことば)の中では、四柱の祓戸の大神として最初に出てくるのが瀬織津姫です。歴史の中に葬られながら、ヒメたちは、人知れずそのお役目を担ってこられたのです。そのお役目こそがいま顕現されるときではないでしょうか。
ヒメたちの蘇りは、万物のスピリット(いのち)への畏怖と感謝と祈りの復権=大調和への願いです。
元津神の姫 封印より解き放たれて
いま、おでましになる
月の神ならば かなたより 星々は歌い
その復活を祝って喜ぶ
その姿、また龍神ならば 邪心を浄め
天と地の 怒りを鎮める
安堵せよ 底の底なる魂 蘇るとき
森羅万象 つながりあい
魂はみな ひとつとなって響きあう
生命はみな ひとつとなって輝きあう
❋ Kazuhisa kusaba museumより
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2021.11.05 15:20
2021.11.05 15:18
2021.11.05 15:18