Tao〜道〜

1.《究極のTao》
これが真実なる道だと言葉で語られるような道は、
決して不変なる絶対真理ではない。
真に不変なるそれは、
そんな言葉の先で理解できるようなものではないのだよ。
だが、そんな真なる道を誰もが垣間見る瞬間がある。
それは頭の先の世界とは正反対に位置する、性の体感だ。
だが、これもまた、真なるタオの雛形にすぎない。
あなた方の知るタオ(性行為とそれに伴うエクスタシー)は、
真なるタオの模倣的表れにすぎないのだよ。
この奥の奥に隠された不変なる宇宙の働き、それが真のタオだ。
それこそがすべてを超えた究極のタオなのだ。
2.《すべての導き手》
真に徳ある人といえるのは、道(Tao)にすべてを明け渡したひとのみだ。
彼は、まるで男性にすべてを明け渡した女性のようだ。
女性が恍惚とした快感の中で精子を植え込まれるように、
大いなる至福の中にある人は、
宇宙の本質叡智(精)に揺り動かされ、
その喜びに震撼する。
かすかな精子が、誤ることなく人体を築くがごとく、
見えざる精は、
すべてをあるべきところにあるべきように導く。
この精こそ、すべての現象を抜き超えた永遠不変の本質だ。
私になぜすべての諸法則わかるのかといえば、
それは、
性なる精を超えた、
この聖なる精によってである。
3.《天地合一》
天につながる境地は、抱かれた女性に限りなく近い。
だから抱かれた女性のように意識を解放するのだ。
そうなれば、すべてを感得する、知識など必要のない次元へと至るのだよ。
そんな性聖へと至った者は、すべてを私心なく育み育てる。
たとえわが子であっても、我が子をも自分のものとは思わない。
(だから、天につながる心の広い子が育つのだ)
どんなにすばらしいことをやっても、
すべては天の働であることを知り、自慢しようとしない。
(だから謙虚に調和し愛されるのだ)
人の上に立つことがあっても、他人を支配しようとなどしない。
(だから、人々に真の幸せを与えるのだ)
私が言う「玄徳」とは、女性が男性に身を委ねるように、
天に総てを委ねた至福の次元なのだ。

4.《形なき性》
固く能動的な男性器と、
柔らかく受動的な女性器による性交のように
すべての存在は相対する陰陽の作用で生じる。
この万象の根源なる相対作用(有)を成り立たせるものこそ、
存在を超えた聖性(ちから)だ。
この聖性との合一は、人を根源へと返らせる。
何者とも争うことのない存在を超えた次元へと導くのだ。

5.《 性(エクスタシー)から聖(ユニオン)へ 》
性を営む穴を閉じてごらん。
あらゆる欲を求めなくても平気な次元へと至ってごらん。
そこには、いつまでも身を滅ぼすことのない自由な世界があるのだよ。
世の人々は、まるで欲望の奴隷だ。
真の大愛を知らないから、一時しのぎの愛を求めるしかなくなるのだ。
観るがいい、宇宙の背後に働く交合次元を!
帰復するがいい、変化自在なる絶対の次元へ!
この絶対次元からの光は、
何ものからも裏切られることのない真実へと人を導く。
これが私のいう「習常」(永遠不変の世界に入ること)なのだ。


タオ・コードより表裏の意


✷*.。 hi∞mi ☽・:*

真理を、指針とし愛と調和の世界へ

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