ナオヒ
「神直日神」と「大直日神」は、どちらも「直日神」という神の尊称であり、同一神をさします。
「神直日神」は、「直日神」に「神」を冠したもので、「神である直日神」というような意味です。
(類例として、神武天皇の名の「神日本磐余彦」などがあります)
「大直日神」は、「直日神」に「大」を冠したもので、「大いなる直日神」というような意味です。
(類例として、天照大神の名の「大日孁貴」などがあります)
つまるところ、「神直日神」と「大直日神」は名の修飾の方法が異なるだけで同神だと言えます。
『日本書紀』の第10の一書に登場するのが大直日神だけであり神直日神の記載が無いことも、両者が同一であることの傍証です。
類似例として、『古事記』の天孫降臨段に「天石戸別神、亦の名は櫛石窓神と謂う、亦の名は豊石窓神と謂う」という記載があります。この三名はすべて同じ神の別名なのですが、各地の神社(例えば厳島神社境内の門客神社)では別の神であるかのような扱いをする例が見られます。
神直日神と大直日神もこれと同じで、一見すると別神に思えますが実際は同神です。
従って両者の特徴は本質的に同一となります。
伊豆能売は『古事記』にのみ登場する神で、『日本書紀』には記載されておらず、祭神とする神社も多くありません。神名のあとに「神」などの尊称が無いのも不自然であり、この神の単独での実在性は低いと考えられます。本来は直日神の別名だったのかもしれません。
伊豆能売の特徴や事績等は知られていませんが、名称から女神であろうと思われます。また本居宣長は『古事記伝』において「イツ(伊豆)」を祭祀の際の清浄な物事に冠する語であろうと考え、直日神により黄泉の穢れが清められたさまを意味すると説いています。
以下、直日神について詳しく説明します。
『日本書紀』によれば、伊奘諾尊(いさなきのみこと)の禊の際に
・八十枉津日神(やそまかつひのかみ)
・神直日神・大直日神
が生まれ、この後に
・天照大神
・月読尊
・素戔嗚尊(すさのおのみこと)
の三神が生まれたといいます。天照大神から素戔嗚尊までの三神は、いわゆる「三貴子」です。
一方、『延喜式』の大祓祝詞には、穢れの浄化を司る神として「瀬織津ヒメ」「速開ツヒメ」「気吹戸主」「速サスラヒメ」の四神が登場します。
速開ツヒメは『日本書紀』では川の神として既出です。
穢れの浄化は直日神の能力ですから、他の三神のうちいずれかが直日神に相当すると考えられます。
これは伊勢の大神宮の伝承から明らかにすることができます。
大神宮には天照大神をまつる「内宮」と豊受神をまつる「外宮」があります。豊受神は古伝では月読尊と同一視されますから、三貴子のうち素戔嗚尊以外の二神をまつっていることになります。
大神宮の神書である『御鎮座伝記』や『倭姫命世記』によれば、
・天照大神の荒魂(分身)の名:「瀬織津ヒメ神」(別名「八十枉津日神」)
・豊受神(≒月読尊)の荒魂の名:「イ吹戸主」(別名「神直日大直ビ神」)
・素盞烏尊と力を合わせて座した神:「速サスラヒメ神」
であるといいます。
以上から、三貴子は通常使用される名のほかに大祓祝詞における名とみそぎ神話特有の名をもつことがわかります。
これらの名を以下にまとめると、
〈天照大神〉
・大祓祝詞における名:「瀬織津ヒメ神」
・みそぎ神話特有の名:「八十枉津日神」
〈月読尊(豊受神)〉
・大祓祝詞における名:「気吹戸主」
・みそぎ神話特有の名:「神直日神」「大直日神」
〈素戔嗚尊〉
・大祓祝詞における名:「速サスラヒメ神」
・みそぎ神話特有の名:(なし)
となります。
素戔嗚尊がみそぎ神話特有の名を持たないのが気になりますが、素戔嗚尊は実際は月読尊と同一神だといわれますから問題ありません。
もう一つ気になるのが、素戔嗚尊は男神であるはずなのに女神の速サスラヒメ神と同一神とされていることです。しかし、神道では男神の荒玉(分身)は女神になるとされますから、速サスラヒメ神を素戔嗚尊の荒玉と理解すれば問題ありません。
この論理で言えば、直日神も女神と見るのが適当です。
結局のところ、神直日神大直日神は、三貴子のひとりで月神の「月読尊」と同一人物だということになります。
0コメント