わきあがり参考📝
紫金之巻(全文)
紫金之巻~第1帖
高天原たかまがはら、おのころに神祇かみつまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、
千ち万よろずの神祇かみたちを神集つどいに集つどい給たまい、
神はかりにはかり給たまいて、
下しも津つ岩いわ根ねに真理みや柱ばしら二十ふと敷建て高天原に千木高知りて、
伊都いづの神宝の大おお御み心ごころのまにまに千ち座くらの置座おきくらにおき足らはして、
天地あめつち祝詞のりとの二十ふと祝詞のりと言を宣のれ、
かく宣のらば神祇かみはおのもおのもの岩戸を押しひらきて
伊都いづの千別きに千別き給たまいて聞きこし召めさむ、
かく聞きこし召めしてば、
天あめの国うつし国共に罪という罪はあらじと科しな戸どの風の吹き放つことのごとく、
朝風夕風の吹き払うごとく、
大つ辺におる大船を舳へさきとき放ち艫ともとき放ちて大海原に押し放つことのごとく、
残る罪も穢けがれもあらじと祓はらい給たまえ清め給たまうことを、
よしはらへ、あしはらへ給たまいて弥栄いやさかの御代とこそ幸さちわい給たまえ幸さちわい給たまえ。
〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳。
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第2帖
大君の 勅みことに禊みそぎし 今朝けさの太陽ひを吸う。
日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力せねばならん、
一致すれば嬉うれし嬉うれしで暮らし向きも何一つ足らぬもの無なくなってくるぞ、
食物が喜んで飛び込んでくるぞ、
着る物が着てくれと飛び込んでくるぞ、
住居もできてくるぞ。
心のそれぞれも同様ぞ。
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第3帖
伊豆幣帛いずぬさを 都幣帛とぬさに結び 岩戸ひらきてし。
ウヨウヨしている霊かかりに まだ、だまされてござる人民多いのう、
何と申したらわかるのであるか、
奇跡を求めたり、我われよしのおかげを求めたり、
下級な動物のイレモノとなっているから、
囚とらわれているから、だまされるのじゃ、
霊媒れいばいの行おこないをよく見れば すぐわかるでないか。
早う目覚めよ。
因縁とは申しながら、
可哀想だからくどう申して聞かせているのであるぞ、
マコトの道にかえれよ、
マコトとは 〇一二三四五六七八九十と申してあろう、
その裏は十九八七六五四三二一〇で、
合わせて二十二であるぞ、
二二が真理と知らせてあろう、
二二が富士(不二・普字)と申してあろうが、
まだわからんか。
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第4帖
豊栄とよさかに 栄さかり出いでます 大地くに(九二)の太神おおかみ。
大掃除激しくなると世界の人民皆、仮四(仮死)の状態となるのじゃ。
掃除終わってから因縁のミタマのみをつまみあげて
息いき吹き返してミロクの世の人民と致すのじゃ、
因縁のミタマにはゝ◯(カミ)のしるしがつけてあるぞ、
仏教によるもののみ救われると思ってはならんぞ、
キリストによるもののみ救われると思ってはならん、
神道によるもののみ救われると思ってはならん、
アラーの神によるもののみ救われるのでないぞ、
その他 諸々もろもろの神、
それぞれの神によるもののみ救われるのではないぞ。
何もかも皆救われるのじゃ、
生かすことが救うこととなる場合と、
殺すことが救うことになる場合はあるなれど。
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第5帖
岩戸ひらき みほぎの神宝 たてまつらまし。
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は「ち」の色となるぞ、流れも「ち」じゃ。
人民四つん這ばいやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、
大地震、ヒの雨降らせての大洗濯であるから、
一人逃れようとて、神でも逃れることはできんぞ、
天地まぜまぜとなるのぞ、
ひっくり返るのぞ。
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第6帖
白玉や 赤玉青玉 ささげまつりし。
今までは白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、
岩戸がひらけたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出して来るぞ、
キが元ぞと申してあろうが、
トドメの馬であるぞ、
黄金の馬であるぞ、
救いの馬であるぞ、
このこと神界の秘密であったなれど 時来りて人民に伝えるのであるぞ、
今までは白馬に股またがって救世主が現れたのであるが、
いよいよの救世主は黄金の馬、基(キ)の馬に乗って現れますのであるぞ。
記:1961年(記述日不明)
白馬、赤馬、黒馬はヨハネ黙示録からの引用。
最後は死をもたらす蒼ざめた馬ではなく救世主の乗る黄金の馬とする。
紫金之巻~第7帖
太ふと祝詞のりと 宣のり宣のり祈らば 岩戸ひらけん。
神は一時は仏とも現れたと申してあったが、仏ではもう治まらん、
岩戸が開けたのであるから、蓮れん華げではならん。
人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、
神が沈めるのではない、人民が自分で沈むのであるぞ、
人民の心によって明るい天国への道が暗く見え、
暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、
珍しきこと珍しき人が現れて来るぞ、
ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、
目の玉飛び出すぞ、
たとえでないぞ。
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第8帖
千引き岩今ぞあけたり爽し富士はも
神は宇宙をつくり給わずと申して
聞かせてあろうが
このことよく考えて、よく理解して下されよ
大切な別れ道でござるぞ
福祓いも併せて行わねばならん道理
光は中からじゃ
岩戸は中から開かれるのじゃ
ウシトラが開かれて
ウシトラコンジンがお出ましぞ
もう邪(よこしま)の者の住む
一寸の土地も無くなったのぞ
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第9帖
新しき御代のはじめの「たつ」の年
あれ出でましぬ隠れいし神
かくり世もうつし御国の一筋の
光の国と咲きそめにけり
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第10帖
この巻五葉(ごよう)の巻と申せよ
四つの花が五つに咲くのであるぞ
女松の五葉、男松の五葉
合わせて十葉となりなりて
笑(え)み栄える仕組み
十と一(+と-・プラスマイナス)の実り
二二と輝くぞ
日本晴れ近づいたぞ
あな爽々し
岩戸あけたり
国土をつくり固める為に
根本大神がなぜに
ヌホコのみを与えたまえしか?を知らねば
岩戸ひらきの秘密は解とけんぞ
千引岩戸を開くことに就ついて神は
今まで何も申さないでいたのであるなれど
時めぐり来て
その一端をこの神示ふでで知らせるのであるぞ
素盞すさ鳴のお命のまことの御姿が分からねば
次(通基)の世のことはわからんぞ
神示ふでをいくら読んでも
カンジンカナメのことが分からねば何もならんぞ
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第11帖
何もかも前に前に知らせてあるのに
人民は先が見えんから
言葉の含みがわからんから
取り違いばかり
国土くにつちの上は神が治しらすのじゃ
世界の山も川も海も草木も動物虫けらも
皆この方が道具に、数でつくったのじゃ
いよいよが来たぞ
いよいよとは、一四一四ぞ
五と五ぞ
十であるぞ
十一であるぞ
クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ
クニは黄であるぞ
真ん中であるぞ
天は青であるぞ
黄と青と和合して緑(みどり)
赤と和して橙となり
青と赤と和して紫となる
天上天下地下となり
六色となり六合(クニ)となるのじゃ
更に七となり八となり
白黒を加えて十となる仕組み
色霊(イロタマ)結構致してくれよ
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第12帖
ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨエルであり
タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ
十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ
過去も未来も霊界には無い
「今」があるのみ
これを中今と申すぞよ
竜宮の乙姫殿、日の出の神殿
岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿
暗劒殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり
総大将は国常立大神なり
このことわかって下されよ
教えは無くなるぞ
元の道が光り輝くぞ
これを惟神かむながらの道と申すぞ
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第13帖
少しでも交じり気けがあったら
先になって取り返しがつかんことになるぞ
今度は一厘の狂いがあってもならんぞ
柱になる人民もあれば
屋根になる人民もあるぞ
天の王と地の王とをゴチャにしてるから
わからんことになるのじゃ
その上にまた大王があるなれど
大王は人民には見当取れん
無きが如き存在であるぞ
人民は具体的にと申すなれど
人民の申す具体的とは
コリ固まった一方的なもの
一時的なその時の現れであるぞ
人民の申す
絶対無、絶対空は
無の始めであり
空の入口であるぞ
そこから無に入れよ、空に生きよ
いよいよの代(世)となるぞ
記:1961年(記述日不明)
紫金之巻~第14帖
現実のことのみで処理してはならん
常に永遠の立場に立って
処理せよと申してあろうがな
生きることは死に向かって進むこと
マコトに生きる大道に目覚めてくれよ
神示ふでを初めから読めば何事もありやかぞ
奥山はあってはならん
無くてはならん存在であるぞ
善人の住む処(ところ)
悪人の休む処と申してあろう
奥山は神、幽、現の三界と通じる処
八尋(やひろ)殿の左と右に宮が建つ
奥にも一つ
記:1961年(記述日不明)
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