渇愛
愛欲に駆り立てられる者は、
罠にかかった兎のようにもがき震える。
緊縛と執着にとらえられ、
長く何度も苦しみを受ける。
〜渇愛にとらわれた者は
罠にかかった兎のように苦しむ〜
罠にかかった兎のように苦しむ〜
✻この渇愛とはただの性的な欲望をさすのではなく、もっと欲しいもっと欲しいという根源的な欲望である「渇愛」を意味しています。
渇愛にとらわれた者は、罠にかかった兎のようにじたばたもがき、苛立ち、怒り、長く苦しむというのです。ブッダは「渇愛は蔓草のようにはびこる。根絶やしにしないとしぶとく何度でも生じる」とも言っています。
ブッダの教えというのは、快楽に依存して「楽」を求めてもますます「苦」を増やす、苦行で自分を苦しめても利益はない「苦」を除く正しい方法を知って「楽」を求めなさい、ということ。ブッダが悟りを得て初めて法を説いたことを「初転法輪」といいますが、その最初の説法で説いたのも、「快楽と自虐の両極端には近づくな、中道こそ安らぎに至る道である」という中道の教えと、「苦・集(じゅ)・滅・道」の四つの真理(四諦)によって渇愛(執着)を滅する教えでした✻
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罠にかかった兎はもう逃れられません。
欲望の罠にかかる前に、日々の生活の中で、目にするも起こる出来事から自身の心の中から原因を探り、執着しこびりついてしまっている欲望を見つけ出し受け入れ反省する。そして心を変えて次の行動へ繋げていく。…という作業を地道に繰り返してゆくこと。だと思います
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